Perla di Yukiko by ユークルチェ Joekeltje

ジュエリーデザイナー由紀子のテネシーから世界へ日記

November 2015

Raffaelloの名画、「一角獣を抱く貴婦人」

オハイオ州のシンシナティ美術館でラファエロの絵をみました。
「一角獣を抱く貴婦人」です。

イタリア、ローマのボルゲーゼ美術館所蔵ですが、2016年1月までオハイオ州シンシナティの市立美術館に展示されています。

Rafaello's Lady with Unicorn
 


















1506年に描かれた神秘的な表情の女性はユニコーン(一角獣)をだいています。ユニコーンという架空の動物は何かのシンボルであったのかもしれないということです。

少し前に描かれたレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」の構図をまねたとされている絵はなるほど、背景に自然の山があって似ています。パリのルーブル美術館にあるモナリザのようにちょっと薄暗くした大きな部屋に堂々と一枚だけ飾られていました。

そのシンシナティ美術館で出会ったこの絵をみて、デザイナー由紀子は、貴婦人のつけているジュエリーがとても気になりました。

真珠養殖業を成功させた日本の御木本幸吉さんのおかげで現在世界の女性は真珠を気軽につけることができます。しかし、この貴婦人は、胸にとても大きな四角いルビーにエメラルドがちりばめられ、大粒の真珠がぶらさがったペンダントをしています。現代でもこれほど大きなルビーにはなかなかめぐり会うことがありません。

当時、真珠養殖など時代ですから、真珠取りの人がたくさんの貝をあけてたまたまみつけたのがこの大粒の真珠と思われます。ルビーもすごいですが、このジュエリーはどんなにか高価だったことでしょう。

この絵は、結婚のお祝いに贈られたものだそうです。
写真がない時代で、画家を雇って肖像画を書いてもらう時代です。絵の具もチューブに入ったものなどなく、いろいろな色の鉱物をすりつぶして油と混ぜて画家が自分で作る時代ですから、オーダーできる人もそれなりの人と察します。オーダーするのがラファエロというのが特にすごいですが…

今ではこのサイズの真珠は養殖技術が進んだおかげで高価とはいえ、普通の人が買える値段になり、私も扱えるようになりました。当時は普通の人が眺めることさえできかったのではないか思うと、時代の変遷を強く感じるひとときでした。

こんなジュエリーをいつか再現してみたいものです。

このシンシナティ市立美術館は、たくさんのすばらしいコレクションがあり、一日では全く時間が足りません。数々のヨーロッパの名画に圧倒されましたが、日本美術工芸品のコレクションもすばらしいものです。日本の陶器から影響を受けた非常に技術の高いシンシナティのロックウッドという窯のコレクション、ガラス、衣服などのコレクションもなかなかのものでまた行ってじっくりみたいと思わせてくれる美術館でした。
 

ヘレン・ケラーの生家を訪ねて

奇跡の人、ヘレン・ケラー (Helen Keller 1880-1968)の生家を訪ねました。

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目が見えず、耳も聞こえない二つの障害を持ちながら教育を受け、世界40カ国を旅して障害者の教育と福祉の発展に尽力した人は、私が現在住んでいるテネシー州メンフィス郊外から車で2時間半ほどのアラバマ州タスカンビア(Tuscumbia, Alabama)という小さな街で生まれました。現在人口が8,500人ほどの街です。
お母さんのケイトはメンフィス出身だそうです。

アイヴィ・グリーン(Ivy Greenー日本語で緑のツタという意味)と名付けられた家は、雨が降っていたこともあって緑がとてもあざやか。
広い庭のある白い家でした。

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音と光のない世界にいる幼いヘレンには言葉が届かず、手が付けられない子どもになって家族を困らせていました。そこへ若き家庭教師、アン・サリバンがやってきて、ヘレンの手につめたい水をかけながら、片方の手に「WATERー水」と書いて、すべての物に名前があることを教えたことは有名な話しです。

その奇跡の瞬間があったのはこの井戸端。
ケラー家の裏庭にあります。


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壁にヘレンと家族の写真が飾ってありました。
家の中も当時と同じようにしつらえてあり、当時の息づかいが感じられるような家でした。

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これがケラー家のダイニングルーム。どんな食事をしたのでしょう?

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居間の片すみにオルガンがおいてありました。音楽を楽しむ一家だったようです。




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こちらが、台所。
当時の南部では火を使うので台所は外にあるのが普通でした。

ヘレンはサリバン先生の助けを受けて学問を極め、大学もボストンで卒業し、生涯アメリカ東海岸で暮らしたのでこの家で過ごした8歳までの幼少期です。

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これがヘレン直筆の手紙。
パーティへの招待状です。目が見えない人が書いたとはとても思えない整った文字と文章です。

目が見えず、音が聞こえない世界の人がここまでするのはどんなにか大変だったことだろうと思います。サリバン先生と2人で人並みならぬ努力をしたことが伺えます。



 

















そして、ヘレンは、3度日本を訪れ、各地で講演しました。家の中に写真や各国に出かけてもらってきた贈り物が飾ってありました。

日本では、忠犬ハチ公のことを聞いて感動し、秋田犬を所望。神風号と剣山号という2匹の秋田犬をアメリカに連れて帰りました。

これがアメリカに渡ったはじめての秋田犬といわれています。
今、アメリカでは、秋田といえば犬。ファンも多く、各地に秋田犬愛好家クラブがあります。

私の故郷は秋田県。
ヘレン・ケラーは、1937年に秋田を訪れています。
当時の記事をネットでみつけることができました。
こちらをクリックしてご覧ください。

アラバマで、ヘレン・ケラーのおかげで、故郷がちょっぴりなつかしくなりました。
案外と世界は狭いものなのを感じました。

 
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