1950年代から1980年末まで世界中をジャズの旋風に巻き込んだバンド、アート・ブレイキーとジャズメッセンジャーズ。
ジャズのメッセージを伝える人たちとして世界中にアメリカ音楽であるジャズを広めたすばらしいミュージシャンたちの集団です。
アート・ブレイキーArt Blakey1919年10月11日 - 1990年10月16日

「モーニン」、「チュニジアの夜」などの代表曲はみなさん、どこかで聞いたことがある有名な曲です。リーダーのアート・ブレイキーという人は、親日家としても有名ですが、若手ミュージシャンをたくさん育てたことでも有名です。現在世界で活躍している有名なジャズミュージシャンの多くがジャズメッセンジャーズから巣立った人たちです。

そのメッセンジャーズ卒業生の精鋭たちが今年30年以上ぶりにこの10月、メッセンジャーズサウンドを再現します。ニューヨーク、ボストン、サンフランシスコ、カンザスシティー限定です。

ピアノ担当のドナルド・ブラウン氏が我が家の双子ミュージシャンたちの先生で、我が家みんなで応援しているのでご紹介します。というか、応援できることはとても光栄なことです。

MessengerPromo











ジャズメッセンジャーズの精鋭たちの集まりを聞けるまたとないこのチャンス、私もカンザスシティーまで行って聴いてきます。
詳細は後ほどブログでご紹介いたします。


The Messengers Legacy (メッセンジャーズレガシーバンド)

 

ザ・メッセンジャーズレガシー(The Messengers Legacy)は、アート・ブレイキー&ザ・ジャズメッセージャーズというジャズの世界で最も影響力のあったバンドのエリートメンバーによるグループです。メンバーはベースマスターとして有名なレジー・ワークマン、アルトサックスにドナルド・ハリソン、トランペットはブライアン・リンチ、テナーサックスをビリー・ピアス、ピアノはドナルド・ブラウン、そしてドラム担当はラルフ・ピーターソン。アート・ブレイキーの誕生日である1011日にあわせて今年再結成されます。
 

このような由緒あるバンドをリードするドラマーは、ピーターソンよりふさわしい人はいないでしょう。30年前、当時21歳の新人だったピーターソンは1983年構成されたザジャズメッセンジャーズ2ドラムビッグバンドでブレイキーと共に演奏するドラマーに抜てきされ、マスター本人から直々に指導を受けました。ピーターソンは、ブレイキーが亡くなるまでビッグバンドでセカンドドラマーとして活躍しました。
 

レジー・ワークマンは1962年にザ・メッセンジャーズに参加。そして最も革新的な時期と呼べる時代のバンドメンバーです。それから50年後の今、レジー・ワークマンは、あの頃と変わらぬ華々しい活動を続け、プロデュース、音楽教育ワークショップ指導などの他、全米はもちろん国際舞台で定期的にツアーを行っています。ビリー・ピアスは、ピーターセンがミケルズに初出演した夜に共に出演。70年代後半から80年代中盤まで活躍した主要メンバー。ドナルド・ブラウンは1981年から1982年までジャズメッセンジャーズのメンバー。ドナルド・ハリソンは、1983年にメンバーとなり、ブライアン・リンチはアート・ブレイキーが亡くなるまで活動したザ・メッセンジャーズ最後のバンドメンバーの1人でした。
 

このミュージシャングループは自身にとって単なるバンドリーダーに留まらなかった人間の遺志を守り、伝え、そして讃えようとしています。このグループは、アメリカ音楽史において最も重要な音楽修行機関の一つであったバンドの新たな解釈を生み出す可能性を秘めているでしょう。ピーターソンは、メッセンジャーズの各世代を代表するメンバーが結集し、これが今一番本物のメッセンジャーズに近いバンドと言えると語っています。


日本でもこの音色が聴けるようになるといいですね!